琉球(沖縄)歴史探訪② 沖縄戦編
こんばんは、Nike Man です。
先日に引き続き、琉球(沖縄)歴史探訪シリーズ第二弾として、沖縄戦編をご紹介いたします。
沖縄戦当時の風景や、街の様子などを想像しやすいように、AIでカラー化して現在と比較してみました。
今現在と全く違った沖縄の様子が見られると思いますが、その場所をドライブがてらに訪ねてみるのも楽しみの一つかなと思います。
それでは、まいりましょう!
■ 富盛の石彫大獅子(八重瀬町富盛)
↑ 日本兵の様子をうかがうアメリカ兵。
石獅子は、ジリグスクと呼ばれるグスクの中にあり、火除け(火返し)として尚貞王21(1689)年に設置されたもので、フィーザン(火山)といわれる八重瀬岳に向かっています。高さは141.2㎝、全長175.8㎝を測り、村落獅子として最大最古の石獅子です。
今でもその形を保っており、3世紀以上にわたって、「火山」といわれていた八重瀬岳を見つめ続けた石堀の大獅子は、現在沖縄県指定有形民族文化財となっております。
■ 富盛の石彫大獅子 - やえせ観光サイト
■ 糸満市
↑ 糸満市中心部、標高約20メートルの
山巓毛(さんてぃんもう)から南西、糸満市名城のエージナ島を望む写真の眺望。
1934年頃。
■ 赤きいらかの眺望、沖縄戦に奪われた 情景は校歌に今も - 朝日デジタル
↑ 現在の山巓毛(さんてぃんもう)からの眺望。
↑ 糸満市域で米軍の捕虜となり、現在の糸満ロータリー付近に集められた住民ら。右側が山巓毛=1945年6月
■ 家に帰れず、風に吹かれていたら爆音が…那覇が焼けた - 沖縄タイムス
↑ 現在。右側が山巓毛。
■ 豊見城村
↑ 1945年6月16日撮影。アメリカ軍の那覇攻撃後、沖縄南部の人々は、安全な場所へ移動させられた。写真は瀬長島の真向かいにある防波堤を横切る人々。
↑ 2017年8月のグーグルマップ画像。手前は、しおさい公園になっており、瀬長島が見える。
↑ 2022年現在の瀬長島は、「
瀬長島ウミカジテラス」という一大リゾート地へと変貌している。
■ 那覇市首里(首里城周辺)
↑ 1945年4月28日撮影。アメリカ軍が爆撃前に撮影した首里の航空写真。まだ被害はない。
↑ 艦砲射撃で蜂の巣のようになった首里城周辺。
↑ 現在の首里城周辺。火災により現在復興中。
↑ 沖縄戦で破壊された首里城の城壁周辺=1945年5月30日(沖縄県公文書館所蔵)
↑ 現在の城壁。
↑ 廃墟と化した首里城周辺の瓦礫の山=1945年5月29日(沖縄県公文書館所蔵)
↑ 現在の城壁。
↑ 瓦礫と化した首里城周辺。左側は龍潭で中央が弁財天堂跡、その右前方に沖縄師範学校があった=1945年6月8日(沖縄県公文書館所蔵)
↑ 現在の
弁財天堂(天女橋)。
■ 首里城周辺「見るも哀れな灰色の瓦礫」 昭和21年夏、沖縄に密航したある役人が見た光景- 西日本新聞
■ 与那原町
↑ 1945年5月24日撮影、焦土と化した沖縄・与那原の町。何も残っていない。
↑ 現在の発展をとげる与那原町。
■ あの時、島は戦火にのまれた。米兵が見た「沖縄戦」カラーで振り返る - BuzzFeedNews
いかがでしたか?次もまた続きますので、こうご期待!
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